
天気のよい日だった。
エドワードとウィンリィのふたりは連れ立って、故郷の畦道を歩いていた。
時折そよぐ風が、ざわざわと木立を揺らし、太陽の光をたっぷりとまとった新緑が、その度にきらきらと光っていた。
土手には野花が咲き、白や黄色のそれらが鮮やかに目に映った。

ウィンリィは両手にいっぱい抱えるようにして花を持っていた。
それは、ロックベル家の庭に毎年この時期になると咲く花だ。
ウィンリィやピナコがよく好んでこの花を摘んで、ダイニングテーブルや玄関に飾っているのを、エドワードは知っていた。
いつだったか、エドワードはウィンリィになにげなく言ったことがある。
――お前、この花好きだよなあと。
すると、ウィンリィは驚いたように目を見開いた。
どうして、とその顔には書いてあり、エドワードは予想外の反応に、気まずく頬を掻き、よくテーブルに飾るからとたどたどしく答えた。
あとになってウィンリィから聞かされたのだが、その花は亡き彼女の母親が好きだった花らしい。
小さいころから、テーブルに飾るのはこの花だったから、特に意識したことなんてなかったと、静かに目を伏せたウィンリィの横顔は、まだエドワードの記憶に新しい。
ふと、子ども特有の甲高い声が聞こえた。
エドワードとウィンリィが自然と視線を向ければ、丘の先から村の子どもたちがきゃらきゃらと笑い声を上げながら歩いてくる。
その足取りは軽く、まるで弾むような楽しげな雰囲気が伝わってくる。
ふと、それを見ていたウィンリィの瞳がふわりと綻んだ。
それは愛おしさのようで、どこか違う……懐かしさとも違う、何とも形容しがたちそれに、エドワードが微かな違和感を覚えた。

ウィンリィ――と、彼女の名を呼ぼうとした唇が、その形状を形づくる前に飛散した。
代わりに、二人の間に故郷の風が流れた。
この時期特有のみずみずしい新緑の気配を含んだそれだ。
鼻の奥に、ツンと通る緑の匂い。
咲きほこる花の芳香。
それらが凝縮された、生命に満ちた気配。
降り注ぐ日差しでさえ、新しい命を祝福するように、やさしく大地を覆っていた。
まるでブランケットのようだ。
大地一面に覆いかぶさるあたたかなブランケット。
それは、わが子の頬をやさしく撫ぜる母の手を思わせる。
エドワードは目を細めた。
それは、懐古の情。
思い出す、あの丘の上に建っていた家。
白い壁に弟とふたりで成長の記録を刻んだ。
庭には、物干し台と、ちいさな農園と砂場。
夏になると母はよくそこからトマトを採ってきた。
庭にあった大きな木。
そこにあったブランコを、よく兄弟で取りあった。
まるで逆光の中に佇むように、あのころの景色は、皆等しく輝いて、エドワードの記憶に残っている。

「エド」
呼ばれた声に意識を戻すと、ウィンリィが不思議そうに顔を覗きこんできていた。
いつの間にか墓地は目の前だ。
「ああ……。ん、なんでもない」
「そ?」
「ちょっと陽に中てられたのかもな」
「ええ〜〜?」
怪訝そうに眉を寄せるウィンリィは、いかにも胡散臭そうにエドワードを見ている。
ブルーの瞳に悪戯っぽい色を含ませながら。
「軟弱ね。家にこもって本ばかり読んでるからじゃない?」
「それを言うなら、お前だって家にこもって機械鎧いじりばっかりしてるじゃんか」
「あたしのは仕事よ」
「それを言うなら、オレだって仕事だ」
「なによ、錬金術オタク」
「なんだと、機械鎧オタク」
しばらく睨みあい、どちらとなく笑った。

「ああ、おかしい! あんたとこんな風に言い合うのも久しぶりね」
「むかしは1日に1回ぐらいは言ってた気がするけどな」
「成長したんじゃない? お互いに」
そう言ってウインクしたウィンリィに、エドワードはなんとなく腑に落ちない気分になる。
長年背負っていたコンプレックスはなかなか抜けるものではないのだ。
たとえ今、目の前の彼女をすっかり身長で追い抜かしていたとしても、なんとなく含みがあるなあと思わずにはいられない。
立場が弱い証拠だろうか。
そこまで考えて、エドワードはクツリと笑いを噛み殺した。
弱いといえば、その通りだろう。
むかしから、自分はこの目の前の幼馴染にはとことん弱いのだから。
思えば、たくさん泣かせたなと思う。
たくさん心配をかけたし、不安にもさせた。
彼女に恋心を自覚する前も、エドワードにしてみれば、ウィンリィは親しい友人……
それこそ家族も同然だったし、大切な存在であったことに、今と寸分の変わりもない。
自分とアルフォンスのことを、いつも自分のこと以上に心配してくれ、案じてくれた。
時に自分たち兄弟以上に怒ったり、泣いたり、笑ったり。
あんなことがあったのに、自分たち兄弟がぎこちなくなったりせずにいられたのも、ひとえに彼女が間に入ってくれていたおかげだと思う。
――3年か。
あっという間だったと、振り返る日々が訪れるのだろうか。
この墓前に眠る人たちがいなくなったとき、あのときの絶望を乗り越えて、今こんなにも穏やかに手を合わせることができる自分がいるように。
いつかたくさんの時をこえて、懐かしかったと笑うことのできる日々になるだろうか。
(なるよ)
(きっと)
いつか、隣に立つ彼女が言った言葉がよみがえる。
(あんたたちの言う、錬金術の神さまのこと、あたしはよくわからない。
でもきっと、それって世界の真理だと思うの)
いつか、やさしい思い出になる。
ふいに、愛おしいと思った。抱きしめたいと。
衝動のままに、ウィンリィの手を掴んだ。
生身の右手が、その感触を間違えることはない。

「エド?」
驚いたように目を見開いたウィンリィと視線が合う。
とたんに我にかえり、エドワードは狼狽した。
慌てて手を離し、気まずそうに視線を逸らす。

なんでもないとどもりつつ取り繕うとするエドワード。
その横顔――もうすっかり大人のそれになった輪郭の先、真っ赤になった耳がそれとは裏腹に少年っぽさを醸し出す。
そのアンバランスが妙に愛しい。
ウィンリィの視線は自然とやわらかなそれとなり、気付いたときには、自然と口を開いていた。
「ねえ」
呼びかけられた声に反応して、エドワードの肩が揺れる。
引かれるままに振り向いてしまいたい情動と、気恥かしさの間で、
エドワードが呼びかけに応じるかどうかを逡巡している、
そのささやかな間に、ウィンリィの声が、風に混ざり、ひそやかにエドワードに届いた。

「子供……できたの」


体裁なんて殴り捨てて振り返った。
青々とした草原を背に立つウィンリィは、ゆっくりと目を細めて笑った。
それぐらいエドワードの反応があからさまでおかしかったのだろう。
何度も、真偽を問う彼に、ウィンリィも同じように何度も笑いながら肯定した。
「もう、本当だってば」
ウィンリィは笑った。
何度も笑わなければ、その表情は一変して泣き笑いのようになってしまうのが、
自分でもよくわかっていたからだ。
だって、不安だった。
彼に限ってそんなことはないと信じていても、それでも心から喜んでもらえる保証はどこにもなかったからだ。
今だって、油断したら震えてしまいそうだ。
それぐらい柄にもなく緊張していた。
笑い声で覆い隠さなければならないほどに。
「……ねえ、喜んでくれる?」
見上げたエドワードの表情を見て、ウィンリィは問うた。
もちろん、彼の答えを重々承知した上でだ。
泣き笑いのような彼の顔を見て、ウィンリィは小さく「よかった」と呟いた。
そっと指を絡めてみる。
すぐに握り返された手が、焼けるように熱かった。
この胸と同じぐらい。

「なにか、お祝いしなくちゃな」
視線を遠くに追いやったまま、たどたどしくそう言う彼に、ウィンリィはそっと己の手に力をこめた。
鼻をすすり、「うん」と返した。
「ねえ」
繋いだ手をそのままに、しばらく無言で向かい合っていた。
視線は、自然と墓前に添えられた花に向けられる。
大好きだった人たち。
幼かった自分たちの傍にいた、当たり前に。
思い出す記憶には、どれもやさしく甘く微笑むやさしい大人たちがいた。
あのころ自分たちの周りに当たり前にあったもの、おはようという挨拶、
朝の食卓に並ぶ目玉焼き、午後になると部屋に漂う紅茶の香り、カーテンからながれるやさしい故郷の風。
陽の光。そのどれもが懐かしく、目を開けていられないぐらい眩しいものだった。
「ここにいてね」
あたしの傍に。
この子の傍に。
そしてあんたをやさしく包みこむこの場所に。
無意識に強く手を握れば、隣からは驚いたような雰囲気が伝わってきた。
「ばか」
ぐいと乱暴とも捉えられる強い力で引き寄せられた。
「当たり前だろ」
「ん……」

ーーー帰ろう、あの丘の家に。